京大サークル CARP(原理研究会)
京大公認サークルであるカープ(原理研究会)の公式ブログです。私たちは統一原理という理念を掲げて、周囲に希望を与えます!
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介護と悔悟。
お元気様です。

久方ぶりの快晴

晴れ渡りたる大空に、心は彼方に飛ぶっちぃです。

…というのもつかの間。

天気は週末から下り坂…(;一_一)

ぼちぼち秋雨といったところでしょうか?


ところで、実は私、教員免許を取得するために日夜努力中なのです(#^.^#)

そこで、先日、“介護等体験”なるものに行ってきました。

特別支援学校での二日間の短い実習でした。





今回の実習で一番驚いたのは、子供たちと真剣に向き合う先生方の情熱とその姿勢でした。

皆さんもご存じのとおり知的障がいや身体障がい、あるいはその両方を有する子供たちの相手をする仕事ですから、

意思疎通が難しい。

力仕事が多い。

しかも、障がいといっても同じような障害のある子供は一人としていない。

障がいにもさまざまな種類があると同時に、複数を合併することも少なくない。

難しいことばかりに見える。

でも、ある先生は「この仕事が本当に楽しい。この仕事が止められない。」と話しておられました。

一人ひとり異なる対応やケア、教育が必要になる。

G.H.ミードは“重要な他者”という言葉で自分を自分たらしめる周囲の人々(家族、友人等)を表現しましたが、

先生方は子ども一人ひとりにとっての“重要な他者”となることめざし、

同時に先生方にとっての“重要な他者”にもなっている。

そこに親子のような深い愛情関係をみる思いでした。

世には人間の本質はエゴイズムだと考える人もいますが、

本来、ひととひとの関係性ってこうあるべきじゃないのかな。


また、生徒の中には障害だけではなく、心に傷を負っている子も多い。

今回お世話になった特別支援学校には、自宅から通っている子供たち以外にも、さまざまな事情のために、

生活の世話をしてくれる施設で生活し、そこから学校へ通っている子供たちもいる。


さらに、彼らを困難にしているのは、障害ばかりではない。

ある子は社長さんの理解によって就職できることになっていたにもかかわらず、

パートのおばちゃんたちの“障害者と一緒に働きたくない”という心ない申し出によって

不採用になってしまったそうです。

先天的な障がいだけでなく社会的な困難も彼らの未来を阻むのである。



人間って不思議。

ある人はその障害を持った人と触れ合う中に自分の生きがいを感じ、

またある人は障害があるという理由で相手を排斥する。

どう考えても真逆の心性を持っている。

それも片方だけではなく、両方。

私自身も今回の実習を通過しなければ、障害のある人たちへの偏見を持ったまま生活していたかもしれない。

いや、実習を受けた今でさえ完全にこういった偏見を取り去ることはできていない様に思う。



ただ、同時に先生方の温かい心に感動する心が自分の中に間違いなくあった。

僕自身も将来ひとの心に希望を与えられる人になっていきたいなぁと再認識させられた実習期間でした。

皆様も機会があれば、そういった先生方からお話を聞かれるとよろし。

テーマ:特別支援学校 - ジャンル:学校・教育

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コメント
No title
>Takeさん
>自分と違うものに対して言いようのない恐れを抱いているその人自身の心の問題で、結局その人自身に何らかのコンプレックスがあるがゆえにそういう決めつけをしているように思えてならない

コメントありがとうございます。
本当にそうだと思います。

もし、唯物的な弱肉強食や適者生存の原理が人間世界の不変の真理だとするなら、こういった現実も仕方がない帰結と言えるのかもしれません。
生物が生き残るには自分の生存に不利になるような弱者を排除し、自らの生存に利益となるような存在に媚びるのが最も効果的ですから。

でも、これを肯定してしまったら、人間の自由や尊厳ってなくなってしまうように思います。

“許し”や“融和”や“愛”といった徳目を人間の本質として初めて、障がいのある人たちをも自らの生きがいの対象としていくような生き方が肯定されるんでしょうね。

僕は後者のような生き方がしたいです。
[2011/10/24 07:02] URL | ぶっちぃ #- [ 編集 ]

No title
>ある人はその障害を持った人と触れ合う中に自分の生きがいを感じ、またある人は障害があるという理由で相手を排斥する。

人が人を排斥してしまうのは、相手との相互理解が足りずに、一方的な決めつけで相手をイメージしてしまっているところに原因があるのではないだろうか?
宗教戦争や民族間の闘争、部落差別、会社内の部署の対立に至るまで、結局、相手も同じ人なんだと見ることができていないところに原因があるように思う。
人は、自分と違うものを拒むところがあるのだろうか?しかし、それは、自分と違うものに対して言いようのない恐れを抱いているその人自身の心の問題で、結局その人自身に何らかのコンプレックスがあるがゆえにそういう決めつけをしているように思えてならない。
みなさんはどう思いますか?
[2011/10/23 23:25] URL | Take #- [ 編集 ]


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