京大サークル CARP(原理研究会)
京大公認サークルであるカープ(原理研究会)の公式ブログです。私たちは統一原理という理念を掲げて、周囲に希望を与えます!
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続・特定サークルに対する不当な扱い
前回の記事、特定サークルに対する不当な扱いの続きです。

――――――前回のおさらい――――――――――――――――――
今、全国の大学で学生支援の一環として行われている「カルト」対策を行う大学が増えてきました。
そこでは、特定の団体をカルトと呼んでいて、カープも「カルト」と指定されていました。
そのカルト対策の講義はどういう意図で行われているのかを知るため、「カルト」対策が行われた経緯、提供者の「カルト」対策の目的を説明して、実際どういう講義が行われているのかまで書いたと思います。
―――――――――――――――――――――――――――――――


どうでもいいと思っている人にとってはどうでもいいかもしれないけど。

でも、そんな人にも、カープを誹謗中傷するネットの偏った情報だけを見て事実を誤認しないように、正しい情報を伝えていけたらと思います。


その「どうでもいいと思っている人」の中には、
「どうせカープは『カルト』なんだから、大学から排除されるべきだ!」

とお考えの人もいるでしょうが、「戻る」ボタンを押すのはもうちょっと待ってください。


じゃあそもそも「カルト」って何でしょう?







20世紀のキリスト教神学者として有名な・・・

ってそれカール・バルトや。カルトって略字ちゃうで。




僕は全ての言葉に明確な定義が必要であるとは思いませんが、誹謗中傷に値する言葉であれば話は別です。

ある団体が「カルト」に含まれるかどうかはデリケートな議論になるので、言葉に明確な定義域が必要になります。





カルトっていう言葉は元々善悪のふるいにかけられない価値中立的な言葉だったんですが、
宗教が多様化する中で、カルトの意味も随時変わってゆき、現在では負のイメージを持たせる言葉としてよく使われますね。



では、
学者たちは現在この「カルト」という言葉をどう定義しているのでしょうか?

研究のキホンは先行研究!

ということで、前出の日本脱カルト協会の「カルト」についての先行研究を参照してみましょう。



「カルト」の定義

①滝本太郎弁護士の「破壊的カルト」の定義
「教祖または特定の主義主張に絶対的に服従させるべく、メンバーの思考能力・思考意欲を著しく減退・喪失させ、目的のためには違法行為(刑事・民事・行政法)も繰り返してする集団」



ちなみに、政教分離の原則により、国の機関である国立大学では宗教活動も宗教を反対する活動も禁止されているのですが、
滝本弁護士は、「カルト」対策を行う際には、注意する団体が宗教であるかどうかが問題なのではなく、「カルト度」が問題になるから、「カルト」対策は政教分離に抵触しないとお考えのようです。



彼の「カルト」の定義と「カルト度」の両方を取り入れると、

「あの団体、けっこう絶対的に服従させられて、まぁまぁ思考能力も減退してるから、カルト度高いな」
「この団体の服従心はちょっと絶対的だけど、思考意欲はけっこう減退してるよな」

みたいな感じでしょうか。「絶対的に」服従しているかどうかを「カルト度」っていう相対的な秤で評価することになります。




ちなみに、
滝本氏には思考能力・意欲の減退っぷりを示す客観的データもなく主観に基づいているものです。


だから、滝本弁護士の言う「カルト度」も主観にすぎません。
クリスチャンの主観的な判断でイスラム教がカルトっぽいと思ったら、イスラム教は「カルト」に含まれるわけです。(これは例ですので、イスラム教を批判しているわけではありません。)
なので、
この定義では「カルト」の明確な定義域は定まりません。




②西田公昭氏の定義
「強固な信念を共有して熱狂的に実践し、表面的には合法的で正義をふりかざすが、実質には自らの利益追求のために手段を選ばない集団。」



とありますが、
熱心な企業なら、強固な信念を共有して熱狂的に実践し」ているだろうし、社会に対してプラスになることをしながら、利益を得ているので、「カルト」に分類されます。

そういう企業の社会に対する奉仕を「表面的」と捉えて、利益追求を「実質」と捉えるのは、社会を歪曲して見ているんじゃないでしょうか。






日本脱カルト協会の権威たちの定義はこんな感じです。


でも、実際は「マインドコントロールされている団体」みたいな意味で「カルト」と使われることが多いと思います。


じゃあ次に、この「マインドコントロール」とは何でしょうか?「面倒だけど、このテーマにも触れてみたいと思います。


あ、まだ「戻る」ボタン押さないで~!!


「マインドコントロール」の定義

日本でマインドコントロール理論の権威は西田公昭氏であるようです。ぼくも西田氏の論文をいくつか読んでみました。
西田氏が書いた「マインドコントロールとは何か」によると、マインドコントロールを次のように定義しています。


「他者が自らの目的のために、本人が他者からの影響を知覚しない間に、意思決定過程に影響を及ぼすことである」


この定義は、日常茶飯事の交流をおどろおどろしく書いたにすぎません。

例えば、Aさんが初めて会うBさんに自己紹介するとき、「Bさんと仲良くなりたい!」という目的のためにするし、
その結果、Bさんは「Aさんと仲良くなろう」と意思決定"させられる"わけです。

普通、そこでBさんは「あ、AさんはAさん自身の目的のために自己紹介しているな」なんて知覚しません。




就職先を決めるのも、選挙で投票するのも、昼ごはんを選ぶのも、外界からの情報を得て意思決定するんだし、むしろ外界からの情報に影響されず生きるのは、周りに人がいる限り難しいでしょう。


CMも広告も選挙活動もマインドコントロールになっちゃいます。



ちなみに、
アメリカでは、マインドコントロールされたと訴える法廷闘争があったけど、
その時は「米国心理学会」有志によって、「科学的な裏付けを欠くものであるとして、米国心理学会では受け入れられていない」という旨の法廷助言書が提出されています。

また、「科学的宗教研究学会」では、マインドコントロール理論の非科学性を満場一致で認める決議案が出されています。




日本の法廷でもマインドコントロール理論は通用しないことが分かっています。

最近の例で言うと、2011年12月オウム真理教の刑事裁判で、西田氏は、井上嘉浩死刑囚の鑑定書に「修行を通してマインドコントロールを受け、松本被告の命令に反することができなかった」と書きました。

全面的に教祖のせいにして、殺人行為を行っても井上氏本人の責任は一切問わなかったようです。


これに対して、最高裁は「マインドコントロール下の能力減退は認められない」として、マインドコントロール理論は完全に否定されています。





言いたいこと

ぼくが「こういう理屈があるので、ぼくはマインドコントロールされているんじゃありません」と言うと、

「あぁ、そうやって言い訳を教え込まれているんだな。上から言われたことも自分の意思で判断したと思ってしまうようにプログラムされているんだな」と言われそうですが、


「この集団に入っている人は例外なく全ての思考能力を統制されている」として、ぼくたちの判断意志を全否定するのは、
人間性を根っこから踏みにじる行為です。








ここでは客観的な視点で議論するため、ごちゃごちゃと理屈を並べてますが、

一番伝えたかったことは、もう意志を持った人間と認められていないという事実です。




これは一サークルという小さな次元の問題ではありません。


特定の団体を悪と決め付け、それを根絶しようとするのは、魔女狩りや踏み絵と同じ行為であって、

これは歴史の教科書に残るほどの大問題なのだということを認識していただきたいのです。




大学に人間としての尊厳を認めてもらえないことがどれほど異常なことなのかを認識していただけたら幸いです。






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